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2011年7月7日木曜日

森鴎外『渋江抽斎』

高尚だが退屈だと評判の鴎外の史伝である。
それが面白い、と言えば、スノッブに思われるだろうか。いや、それでも十分面白かった。
解説にも書いてあったように、これを小説のように読んじゃ駄目だな。いやね、ひょんなことで知ったんだけど、幕末の漢方医で渋江抽斎という人がいてね、この人が本業は医者なんだが、儒学をよくする文芸の徒でもあり、演劇の通でもあるという、私の先達みたいな人なのよ、というような鴎外さんの随談を聞くような心持ちで読んだ方がいい。
それがさあ、友達にも面白い人がいて役者の真似事をして主家をクビになった人がいたり、息子も放蕩者で苦労したり、そうそう最後の妻が女傑でねえ、なんていう風に話が広がっていくのも面白い。
幕末の漢方医群像といった趣もある。とすれば、手塚治虫の『陽だまりの樹』とは合わせ鏡のような感じもする。(手塚の方は幕末の蘭法医が中心の話だ。)併せて読むと、また面白いと思う。
この話は文庫で342ページあるのだが、何と161ページで、渋江抽斎は、コレラのために、明治を待たずに死んでしまう。それも凄い。主人公が話の半分もいかないうちに死んでしまうのだ。そんな小説なんかないよなあ。
その後は、抽斎亡き後の渋江家が丹念に描かれる。
私が好きなのは、抽斎最後の妻、女傑五百だ。抽斎の晩年、渋江家に暴漢が押し入った。五百は入浴中だったが、腰巻き一枚の姿で匕首を武器に暴漢を追い払ったというエピソードがある。坂本龍馬の妻お龍を思わせるが、あっちは刺客の到来を報せただけ。五百の方が数倍勇ましい。
それから、抽斎の娘陸。この人は明治になって砂糖店を経営した後、長唄の師匠となった。砂糖店をやっていた頃は、士族の商法の成功例として、あの三遊亭圓朝が噺の枕で振ったほどだった。長唄の師匠としても杵屋勝三郎門下の重鎮として活躍した。鴎外という人は、こういう一本筋の通った女の人が好きなんだな。
敷居は高かったが、決して乙にすましたものではない。かえって飄々としていい話だったよ。

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