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2012年9月27日木曜日

梨園の御曹司

小学生の頃、うちは梨農家だった。いわば、私は、梨園の御曹司だったわけだ。
もっともそうは言っても、大規模な果樹園だったわけではない。屋敷の東側の細長い畑に梨を植え、親父とお袋、夫婦二人でやってけるだけの、つつましい梨園であった。
うちの梨は、土地が合っていたせいか、甘くて旨かった。評判もよく、学校の先生なんかも買いに来たし、夏休みのラジオ体操では、あそこでは梨が食えるというので、よく会場になっていた。
梨には、赤梨と青梨の系統があって、赤梨は甘味、青梨は酸味がウリだった。この辺りでは赤梨が主流だったな。
私が子どもの頃は、何と言っても長十郎。高級品が幸水だった。長十郎の固くて甘いのが、私にとっての梨だった。
現在は豊水が主流だが、うちの妻は幸水の方が好きだと言う。私も、幸水の上品な甘さがいいな。
子どもの頃は、それこそ食べ飽きるほど身近なものだったが、随分前に梨を作るのをやめてしまった。手間はかかるし、運ぶのは重いし、結構大変なのだ。お袋は長年梨を運んだのが祟ったのか、腰が曲がってしまった。

鳥取の小柳師匠が毎年、梨を送ってくださる。鳥取と言えば、言わずと知れた二十世紀である。青梨系統の代表選手だ。ルーツは関東だという。何となく縁を感じる。
赤梨を食べなれた舌には、青梨の爽やかな酸味が新鮮である。きりっと冷やして白ワインに合わしてもいいですな。

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