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2014年5月20日火曜日

雑誌『Swich』―進化する落語

ちょっと前、雑誌『Swich』を買った。特集は「進化する落語」。
ラインナップが、いかにも『Swich』的。これが「現時点の最先端」という判断なんだろうな。
対談が、立川志の輔×佐野元春、笑福亭鶴瓶×横山裕(関ジャニ∞)、春風亭小朝×千原ジュニア、春風亭一之輔×チイ・イトウ。インタビューは、桂文枝、柳家喬太郎、立川談春、春風亭昇太、柳家花緑、柳家三三といった面々。
ね、組み合わせなんかも、いかにも『Swich』的でしょ。
こうなると、もはや落語家は寄席芸人じゃないね。そうだよな、今や落語会は、ライヴコンサートのノリだもんな。立川談志や春風亭小朝が目指したように、落語はステイタスを上げたんだ。立川談春の記事なんか読むと、孤高のロッカーみたいだもんな。
オールドファンの私には多少違和感はあるけど、でも、けっこう楽しく読んでるよ。何たって、トップランナーの言葉にはオーラがある。
私は以前、このブログで、最近の落語の進化の仕方では「江戸の風」は吹かないんじゃないか、と書いたことがあるけど、柳家喬太郎もそういうことを意識してたんだね。こんなことを言ってる。
「『江戸の風が吹く吹かない』みたいなことを家元(立川談志)が言い始めたでしょ。『喬太郎さんの古典は面白いけど、江戸の風が吹いていない』と言われることがあって。でもね、八〇年代の風を吹かせられる人はあまりいないんじゃないかと思うんです。俺は全噺家の中で八〇年代の風を吹かせられる稀有な例なんだぞ、と。それをお客さんが望んでいるかは別として。」
それでいいと思うよ。「江戸の風」は晩年の談志が行き着いた、郷愁のようなものだ。漠として形はない。そんなものに憑りつかれたら、「間」に憑りつかれた春風亭一柳のようになってしまう。
正岡容は桂文楽の落語に大正期の東京を見た。とすれば、八〇年代の風を吹かせる名人が出たっていい。
ま、それはともかく、この特集全体で示されたものが、若い落語ファンにとっては、現代における至高の落語なんだろう。落語は青春の芸だ。落語ファンは誰でも、青春時代に夢中になった芸を基盤に、繰り返し何度でも語らずにいられない。(桂文楽も橘家圓喬を繰り返し語っている。)だから、今、この時に出会った芸を大切にしていけばいいんだと思います。
ちなみに、この雑誌、活字が小さいのよ。老眼にはいささかツラいなあ。

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