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2015年8月19日水曜日

家族6人、福島旅行②


ホテルを後にし、猪苗代湖畔を通る国道49号線に出る。
磐梯山を右手に、猪苗代湖を左手に眺めながら、会津若松方面に向かう。

30歳になった頃、猪苗代湖畔で一人キャンプをやったことを思い出す。
あの晩は雨で、閉まっていた管理小屋の庇の下でおでんを煮て酒を飲んだ。やがて雨が上がり、雲間から月が顔を出した。きらきらと光る湖面の、この世のものではないような美しさを忘れることができない。

さて、昼食は喜多方でラーメンを食べる予定だった。
前回来た時はラーメン会館みたいな所で食べたのだが(そこはそこでけっこう美味しかった)、父のリクエストで、今回は街のラーメン屋に行くことにする。
市営駐車場に車を止め、歩いて街中に向かう。母は市から借りた車いすに乗せる。
市役所の脇の小道を入ると、喜多方を代表する坂内食堂がある。
11時半だが、もはやかなりの行列ができている。


これじゃ母や子どもを連れて並ぶのは無理。
隣の松食堂に入る。うまいことすぐに座れた。
ラーメン600円也を6つ、すぐさま注文。待たされることもなく、ラーメンがやって来る。
いやあ見事。旨かった。写真は後日、「飲んだり食ったり」でアップします。

喜多方は古い町並みが残る。私としては1時間ぐらい写真を撮りながらぶらぶら歩きたいのだが、年寄り子ども連れの身では自分の趣味を優先させる訳にはいかない。
駐車場までちょこちょっと撮りながら車へ向かう。






最後に観光をしようと、会津若松へ戻り、鶴ヶ城へ行く。
会津は、昨年だったか、大河ドラマの『八重の桜』の舞台。鶴ヶ城付近にはそれ系の看板や展示が目立つ。
鶴ヶ城の天守閣の中は会津藩の歴史を展示している。この手のものを長男は、実に丁寧に見るが、今回は次男も興味を持ったらしく、けっこう時間をかけて見学して行った。
天守閣のてっぺんから母の車いすを押す父を探す。こちらから電話をすると、すぐ下の木陰から姿を現した。病後、随分怒りっぽくなった母を、生来短気な父がよく面倒を見ている。母も父を頼りにしているからこそ、父にしか大きな声を上げない。何だかんだ言って、うちの両親は仲が良いのだ。これは、私にとって(それほど大量にないと思われる)幸運の一つだろう。

会津藩は、幕末、薩長の討幕勢力と敵対し、戊辰戦争では官軍に激しく抗戦した。そのため、明治政府は、会津藩を下北半島の斗南へと移封する。極寒の地で彼らは塗炭の苦しみをなめた。
東京への電力供給のため原子力発電所が作られたのは、この福島県と、やはり戊辰戦争で官軍を苦しめた長岡藩のあった新潟県である。そして、福島では東日本大震災による原発事故で、15万人もの人々が帰る土地を失った。
我が国の首相は、「2018年まで頑張って、明治50年、100年、150年の区切りの年を、すべて山口県(つまり長州ですね)出身の首相で揃えたい」と言ったという。

久し振りに見た鶴ヶ城は、この辺りでよく見る、赤瓦の屋根に変わっていた。
明治政府の命令で、鶴ヶ城の建造物は天守閣を含み、ほとんどが取り壊された。(会津藩士の「悲愴感慨の心を消すために」という意図があったらしい)
鉄筋コンクリート製の天守閣が再建されたのは昭和40年。今年が再建50周年にあたる。



15年程前の鶴ヶ城の写真はこちら。



3時ごろ、会津若松を出て、家に着いたのが7時頃。スーパーカスミで買って来た寿司でビール、酒を飲む。




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