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2016年3月12日土曜日

「あの日」のこと

今年は、うるう年のせいで、3月からの曜日の巡りが「あの年」と同じになった。

「あの時」、私は職場のパソコンに向かっていた。
突然、誰かに両肩をつかまれ揺すぶられるような、強烈な横揺れを感じた。揺れはいつまでも止まらなかった。パソコンの電源が切れ、部屋の蛍光灯が消えた。
その日は、5時半ごろ職場を出て、いつもは30分の道を1時間半かけて帰った。
家族は家の中にいるのが怖いと言って、車の中にいた。そこで私は夕食のおにぎりを食べた。
9時過ぎ、皆で真っ暗な家に入り、蒲団にくるまって寝た。余震が何度も起こり、上空をヘリコプターが引っ切り無しに飛ぶ音が聞こえた。怖かった。

昨日はそんなことを思い出しながら、2時46分には一人黙祷を捧げた。
帰りは5時半ごろ職場を出たのだが、すぐに車のタイヤがパンクして、JAFを呼んでタイヤを買い換えて、というようなことをしていたら、家に着いたのは8時近くになっていた。
偶然にも、「あの日」と同じような時間帯に、同じような道を通って、帰って来たことになる。
「あの日」のように、信号も消え、街灯も消え、家々の灯も消えた真っ暗な中を帰って来たわけではない。所々ひび割れ、盛り上がり、段差ができた道を走って来たわけでもない。道端に液状化でできた水たまりがあったわけでもない。それでも、私はあの時の感覚をひりひりと感じながら、車を走らせていた。
家に帰り、妻が用意してくれた夕食を一人で食べながら酒を飲み、ふとテレビをつけると、震災関係の番組をやっていた。見ていると泣けてきて、消してしまった。今でも震災の記事を読んだり、映像を見たりすると、私は泣いてしまう。なぜ泣いてしまうんだ。私はそれほどひどい目に遭ったわけではないのに。

職場の建物から避難し、外で待機している時に、震度6弱の大きな余震が来た。建物がひどく震えるのがはっきりと見え、誰かが悲鳴を上げた。
余震は何度も何度もやって来た。地面が絶えず揺れているような気がした。
世界が大きく歪んだのを感じた。その歪みのために世界は何度も何度も揺すぶられ続けるのだと思った。
電気が復旧して情報が入るようになると、東北の惨状が明らかになった。その光景は余りにも理不尽で無慈悲だった。圧倒的な暴力の跡が、そこにあった。
そして原発があっけなく爆発した。世界はこうしてあっけなく終わるのだと思った。

それから5年か。
日常は今も続いている。
しかし世界は歪んだままだ。もう元には戻らない。

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