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2022年7月29日金曜日

かすみがうら市志筑

 先日、小田城に行く前、かすみがうら市の志筑に寄った。

旧千代田町。昭和の大合併前は志筑村だった。

江戸時代は志筑藩八千石。領主は旗本の本堂氏。この藩から、幕末の志士、伊東甲子太郎が出た。

甲子太郎は、草創期の新選組に加入。才子然とした彼は、幕府の配下にある新選組を勤王派に変遷させようとして近藤・土方と対立、新選組を離脱し御陵組を結成した。近藤の妾宅に招待された帰り、新選組によって暗殺された。享年34。北辰一刀流の達人を恐れて酒に酔わせた上での犯行だった。彼は容姿端麗で弁舌に優れた切れ者。人望もあったが、それだけに敵対する者には脅威だったのだろう。策士策に溺れるきらいがあったのだろうと思う。

甲子太郎の実弟鈴木三樹三郎は、兄と行動を共にしていたが、兄の横死後、官軍に加わり戊辰戦争に参加。維新後は警察官僚となる。晩年は石岡市で余生を送り、84歳で天寿を全うした。


志筑の街並み。


私が生まれた家そっくりの家があった。


千手観音堂。この裏に志筑城があったらしい。




お向かいには素鵞神社があった。



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