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2022年8月20日土曜日

「酢豆腐」雑談

 この前の「福の家一門会」では、私は「酢豆腐」をかけた。

学生時代は同期の世之助くんのネタだった。同期のネタはやらない。それは、我が落研の不文律であった。

先輩のネタはやってもよかった。むしろ、皆、先輩のネタを好んでやっていた。「酢豆腐」は二代目紫雀さんのネタだった。紫雀の噺は志ん朝そっくりの名調子。すごく面白かったから、世之助くんもやりたかったのだろう。世之助くんの「酢豆腐」も明るくって好きだったな。

私はヘソマガリだったから、先輩のネタもあまりやっていない。「豆や」ぐらいか。あれは圓漫さんのネタだったな。

ちなみに私が現役の頃の人気のネタは、「無精床」、「蜘蛛駕籠」、「寄合酒」、「つる」、「猫と金魚」、「千早振る」、「堀の内」など。それぞれの代で誰かやっていたと思う。


福の家に入って、同輩の持ちネタを解禁した。弥っ太くんの「長短」も覚えたし、今回は世之助くんの「酢豆腐」もやってみたのだ。(もういいだろ?)

「酢豆腐」といえば、我々の世代では古今亭志ん朝の名演が耳に残っている。クスグリもそんなに凝ったものじゃないんだけど、志ん朝がやると、文字通り客がひっくり返って笑うんだよな。私も上下の確認のため志ん朝のDVDを見たけど、見ててやんなっちゃった。あんまりすごくて、「おれがわざわざやんなくてもいいんじゃないか」と思ってしまったのだ。それでひと月ぐらい稽古も出来なかったよ。

でも、折に触れてぶつぶつやっているうちに、あの暑気払いに興じる有象無象を演じるのが、たまらく楽しくなった。そういや、おれたちも学生時代、たまり場のアパートに集まってはつまみを持ち寄って安酒を飲んで騒いだっけ。仲間同士、いたずらをしながら、くだらないことで盛り上がっていたっけ。ああいう気分でやってみたら、おれの「酢豆腐」ができるんじゃないか、と思ったりもしたのだ。

で、やってみたよ。やってて楽しかった。客前でやり慣れてくれば、何とかなりそうだ。


この間、八代目桂文楽の「酢豆腐」を、久し振りにCDで聴いた。

黒門町の最大の功績は、あの若旦那だろうな。あれは文楽が、実在の芸人、三遊亭円盛という人をモデルにして造形したものだ。三遊亭圓盛、通称「イカタチ」。「イカの立ち泳ぎ」からきている。奇人として知られ、それがぴたり「酢豆腐」の若旦那にはまった。以後、「酢豆腐」の若旦那は文楽のものが基本形になっている。


三遊亭圓盛について、『古今東西 落語家事典』(平凡社)には、次のように書いてある。

本名、堀善太郎。明治2年1月2日生まれ、初め梅松亭竹寿門人、梅の家小竹を名乗る。後、遊七(三代目圓橘)門に転じ七福。明治30年頃、二代目小圓朝門で圓盛となる。「イカタチ」というあだ名と奇人ぶりが有名。志ん生の最初の師といわれる。没年は未詳だが、大正前半まではいたらしい。


文楽もまた有象無象の若者たちを、実に楽しそうに演じているんだよなあ。実際、怒るべきところも笑ってさえいるのだ。

京須偕充が『志ん朝の落語6』の「酢豆腐」の解説で、志ん朝の方は「若い衆一同が職人らしい。全員が遊び人めく文楽より現実味がある。」と書いている。なるほど。

確かに文楽の方は、いちいち皆、末枯れている。素人じゃあない。

ここで私は、文楽が若手の頃、落語家仲間で「幸先組」という組合を結成していたことを思い出す。メンバーは春風亭柏枝(六代目柳橋)、柳家さん三(三代目つばめ)、寿司家弥輔、六代目柳家小三治、春風亭梅枝(柳窓)、そして翁家さん生から馬之助になる頃の文楽だった。当時、文楽は二十代半ば、いわば幸先組は、若者の有象無象の集団だった。とすれば、「酢豆腐」の若い衆を演じる時、文楽は彼らとの日々を思い出してはいなかったか。そうなると「全員が遊び人めく」のも無理はない。

中でも春風亭梅枝と文楽はウマが合ったという。梅枝も奇人であったようだ。もしかしたら、「あります、あります」「そりゃあ私は銭はない、銭はないけど刺身は食う」の男は梅枝だったのではないか、と想像すると楽しくなる。

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