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2026年6月20日土曜日

梅雨寒の土曜日

朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージ、スクランブルエッグ、納豆。

細々したことをやり、コーヒーを淹れて飲む。『風、薫る』総集編を観る。

妻は仕事。

空はどんより曇り空だ。雨が降らないうちに色々やっておこう。灯油を買ってボイラーに入れる。精米してくる。

そこへ甥夫婦が来た。甥の所では、先月、第一子が誕生した。1か月検診が終わり、早速、見せに来てくれた。ありがとう。かわいい女の子。

甥はこの子に、2月に亡くなった双子の兄から一字とって名前を付けた。父親似だな。ということは、亡くなった甥にも似ているのか。

甥たちは父を連れて食事に行った。父の孫は5人全て男だったが、ひ孫は今のところ皆、女。こんなところで帳尻が合うのかねえ。

昼は、次男が作ったざるラーメン。私と次男は担々麺味、長男はごまだれ。旨かった。


『特攻』(太平洋戦争研究会編・森山康平著/河出文庫)、読了。

特攻という作戦が、どんな経緯で生まれたか。どんな局面で、どんな規模で行われ、どれほどの兵が死んだのか。膨大な事実が積み上げられる。読み進みにつれ、気持ちが暗くなる。怒りさえわいてくる。

著者による「文庫本のためのあとがき」を引用する。私が何か言うより、その方が伝わることが多いだろう。

 特攻の時代からすでに六十年が過ぎた。(※この本は2007年に文庫化された)ふたたび特攻を強いるような時代が来るとは思いたくない。しかし、特攻隊員の遺書を読んで、その究極の自己犠牲の精神を、個々の隊員の自発的な愛国心の発露としてだけ受け取り、単純に称賛したり感動したりすることで終わるようでは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることにないようにすることを決意し」(日本国憲法前文)たことを貫けるのかどうか、疑問なしとしない。政府とはいつの世も、そのような自発的な愛国心を強要するものなのである。

 特攻ほど権力の強制を露わにする戦い方はなかった。ただ、それを強制と感じさせないほど、大日本帝国の愛国心教育(天皇信仰教育と言い換えても間違いではない)は”徹底かつ苛烈”であり、ほとんど信じがたい”大きな成果”をあげた。

 この本を書きながら私はそういうことを思っていた。

それから約20年、国政政党が「特攻隊員を称賛する」選挙ポスターを作り、「憲法改正の時は来た」と総理大臣が叫ぶ世の中になってしまった。


妻と夕方ビール。

夕食は、自家製コロッケ、手羽先、水餃子で燗酒。妻の友だちから、じゃがいもをたくさんいただいたので、妻がコロッケを作ってくれた。これが旨い。ソースなしでもいける。

寝しなにカティーサーク。雨音を聞きながら飲む。


ブローティガン『西瓜糖の日々』は読了、『アメリカの鱒釣り』にとりかかる。

『アメリカの鱒釣り』と豆ちゃん。


 蓮の花が咲き始めた。清楚な花だよねえ。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」。「泥中の蓮」とも申します。そうはなれないと思うけど、憧れますなあ。


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