大学の頃、人の家を泊まり歩くという「中原中也的生活」をしていた、と以前書いた。
でも、川崎のアパートは好きだった。特に一人で酒を飲むようになると、ちゃんと帰ることが多くなった。(勝手なもんだ。)
川崎の朝は遅い。と言っても、私が起きるのが遅いだけだ。
私が起きるのは、申し訳ないが、お天道様が大分高く上がってからだ。
起きると、まずお湯を沸かし、ほうじ茶を淹れる。炬燵の上には、中学の卒業記念品の笠間焼の湯呑が置いてある。大振りで使い勝手がよく、コーヒーでもお茶でも酒でも、この湯呑で飲んだ。
蒲団は敷きっぱなしの万年床。起き上がると、座布団として使った。
ほうじ茶を飲みながら、まずは目覚めの一服。当時はマイルドセブンを吸っていた。
ちょっとばかりうだうだして、朝食兼昼飯を食べに表へ出る。
アパートの前は狭い路地だ。向かいは、何かの作業場になっているらしく、いつもグラインダーの音が聞こえた。
大通りへ出る。飯屋の持ち駒は三軒ほど。最初の大きい交差点の角にある、中華料理の「ちづる」、そこを渡って少し歩いた所にある、南河原銀座商店街入り口向かいの「角屋食堂」、それから、商店街の中にある「たまるや」という蕎麦屋だ。
「ちづる」ではラーメンライス、「角屋食堂」ではメンチカツ定食、「たまるや」ではカツ丼をよく食べた。どこも500円も出せばお釣りが来た。とんでもなく旨いという訳ではなかったけど、落ち着けて好きな店だったよ。
腹がいっぱいになるとぶらぶら散歩をしながら、本屋をひやかす。本屋の名前は忘れたが、「ちづる」と南河原銀座の中間ぐらいにある店と、南河原銀座の中にある店が馴染みだった。
このどちらかで、フォークシンガー友川かずきのエッセイ『死にぞこないの唄』を買った。奥付の著者紹介には、友川の住所が掲載されていた。(今の時代じゃ信じられないことだけどね。)これが、うちのアパートのすぐ側。番地が1しか違っていなかった。この時はすごくコーフンしたなあ。
この頃は、マンガに凝っていたので、掘り出し物があるとせっせと買った。当時は個人商店でもけっこうマニアックな本があったのだ。
つげ義春の『必殺するめ固め』『夢の散歩』、吾妻ひでおの『不条理日記』、いしかわじゅんの『憂国』『蘭丸ロック』なんてところを熱狂して読んだ。また、女流では高野文子が『絶対安全剃刀』、近藤ようこが『月夜見』で鮮烈な単行本デビューを果たしていたし、マンガ雑誌では『マンガ奇想天外』『ひゅーじょんぷろだくと』なんてのがあって、マンガがとんがっていた時代だった。
散歩から帰り、四畳半のアパートでそういった本をむさぼり読んでいるうちに、やがて日は暮れていくのであったね。
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2012年5月16日水曜日
今年初の夏日、土浦散歩
平日の休み。
妻と阿見のアウトレットにでも行こうと話していたのだが、次男が風邪を引き家にいるので断念。
この頃、こういうことが続くなあ。
昼はマクドナルドのビッグマックとチキンナゲットのセット。
午後から「表に出ておいでよ」という妻の勧めで土浦を散歩してきた。
モール505付近の駐車場に車を止める。ここは昔イトーヨーカドーがあった場所だ。
モール505から歩いて、まずは桜川の土手まで。 定休日で休んでいる店が多い。ひっそり閑とした通りを歩く。
桜町から駅前に戻り、駅前通りを中城まで行く。矢口酒店はだいぶ傷んでいたが、まだある。まちかど蔵はまだ修理中。 ものの本によると、中城から大徳裏には娼家が建ち並んでいたらしい。近くに繭の集積所があり、そこで手に入れた現金を握りしめた男たちで賑わったという。今はそんな面影はまるでない。所々に空き地がある。震災の影響で古い家が取り壊されたんだろうな。
1時間ほど歩いて、また駅前に戻り、高月堂でお土産に「利休ロール」を買って帰る。
今年初の夏日。暑かった。
昼はマクドナルドのビッグマックとチキンナゲットのセット。
午後から「表に出ておいでよ」という妻の勧めで土浦を散歩してきた。
モール505付近の駐車場に車を止める。ここは昔イトーヨーカドーがあった場所だ。
モール505から歩いて、まずは桜川の土手まで。 定休日で休んでいる店が多い。ひっそり閑とした通りを歩く。
桜町から駅前に戻り、駅前通りを中城まで行く。矢口酒店はだいぶ傷んでいたが、まだある。まちかど蔵はまだ修理中。 ものの本によると、中城から大徳裏には娼家が建ち並んでいたらしい。近くに繭の集積所があり、そこで手に入れた現金を握りしめた男たちで賑わったという。今はそんな面影はまるでない。所々に空き地がある。震災の影響で古い家が取り壊されたんだろうな。
1時間ほど歩いて、また駅前に戻り、高月堂でお土産に「利休ロール」を買って帰る。
今年初の夏日。暑かった。
2012年5月13日日曜日
鰺ヶ沢のイカ焼き
前回の続き。
弘前から西北の方に行って、やがて日本海とぶつかった所が鰺ヶ沢である。
この旅では、鰺ヶ沢で食べたイカ焼きが忘れられない。
青森の海沿いの国道沿いには、イカ焼きの店がけっこうある。四角い味も素っ気もない建物で、店頭でイカを焼いて売っている。どの店も裏にはたくさんのイカが干してあった。
茨城の方では、イカ焼きというとお祭りの屋台で売っている、あのタレで焼いたやつだが、青森のは至ってシンプルだ。
一夜干しのイカを、塩胡椒を振って焼き、さっさっと切ってパックに入れて「はいよ」とくれる。
これが旨い。肉厚で、柔らかくて、さっぱりしてて。しかもこれが安いのだ。値段は正確には思い出せないが、祭りの屋台のイカ焼きの、半値ぐらいじゃなかったかなあ。
青森の海岸線をドライブする機会があったら、是非お勧めしたい一品です。
写真は鰺ヶ沢のイカ。
弘前から西北の方に行って、やがて日本海とぶつかった所が鰺ヶ沢である。
この旅では、鰺ヶ沢で食べたイカ焼きが忘れられない。
青森の海沿いの国道沿いには、イカ焼きの店がけっこうある。四角い味も素っ気もない建物で、店頭でイカを焼いて売っている。どの店も裏にはたくさんのイカが干してあった。
茨城の方では、イカ焼きというとお祭りの屋台で売っている、あのタレで焼いたやつだが、青森のは至ってシンプルだ。
一夜干しのイカを、塩胡椒を振って焼き、さっさっと切ってパックに入れて「はいよ」とくれる。
これが旨い。肉厚で、柔らかくて、さっぱりしてて。しかもこれが安いのだ。値段は正確には思い出せないが、祭りの屋台のイカ焼きの、半値ぐらいじゃなかったかなあ。
青森の海岸線をドライブする機会があったら、是非お勧めしたい一品です。
写真は鰺ヶ沢のイカ。
2012年5月12日土曜日
1985年の弘前駅前
1985年の夏、職場の先輩Oさんと青森県を旅した。
弘前、浅虫、むつ、八戸でそれぞれ泊まった。4泊5日に及ぶ贅沢な日程だった。
朝の5時に茨城を出て、十和田湖に着いたのが午後3時頃。 そこから奥入瀬から八甲田の中腹に上り、酸ヶ湯の脇を通って黒石に下りて行ったが、この道が国道とは名ばかりのすごい山道。舗装さえしていなかった。
弘前に入った頃には、もう暗かったな。駅前の観光案内所で紹介してもらった宿に泊まった。どんな宿だったかは覚えていない。
写真は朝の弘前駅前。弘前は文化の薫り高いいい街だった。
弘前、浅虫、むつ、八戸でそれぞれ泊まった。4泊5日に及ぶ贅沢な日程だった。
朝の5時に茨城を出て、十和田湖に着いたのが午後3時頃。 そこから奥入瀬から八甲田の中腹に上り、酸ヶ湯の脇を通って黒石に下りて行ったが、この道が国道とは名ばかりのすごい山道。舗装さえしていなかった。
弘前に入った頃には、もう暗かったな。駅前の観光案内所で紹介してもらった宿に泊まった。どんな宿だったかは覚えていない。
写真は朝の弘前駅前。弘前は文化の薫り高いいい街だった。
2012年5月7日月曜日
葱
子どもの頃嫌いで、大人になって好きになった食べ物の代表的なものといえば、葱である。
いや、ほんと嫌いだった。無理して食べて吐いたことすらある。あの甘みが気持ち悪かったのに、その同じ味が好きになるんだねえ。嗜好って絶対的なものではないんだな。
古今亭志ん朝の「二番煎じ」に出てくる伊勢屋の旦那のように、あのすき焼きのくたくたになった葱が、今は心から好き。(「二番煎じ」の方は猪鍋だけど。)また志ん朝の、はふはふしながら葱を食べる仕草がたまらなく旨そうなんだ。
葱と豆腐の味噌汁もしみじみ旨い。昔はあんなに嫌だったのに。不思議なもんだ。豆腐と葱の相性はいいな。冷奴でも湯豆腐でも葱が加わると一段と旨くなる。
焼鳥もね、肉だけよりむしろ「ねぎま」がいい。葱がうまくアクセントになっているんだね。そう言えば、学生の頃通っていた焼鳥屋のメニューに「かもねぎ」というのがあった。何だと思って頼んだら、見事に葱オンリーの串焼きだった。「客の方がカモか?」と冗談を言ったっけ。
蕎麦の場合、あの薬味の葱は、私はあまりいただかない。特にもりの場合はちょっと。蕎麦を邪魔するような気がするんだよな。どこかのフードコートの蕎麦で、「ねぎそば」というのがあって、食べてみたんだが、あんまり葱が多すぎて蕎麦の味なんかしなかった。何事もほどほどだと思いますよ。でも、鳥南蛮、鴨南蛮の葱はいい。まさに絶妙。蕎麦だけつーっとたぐって、後は味のしみた葱をつまみに熱燗を飲むのもいい。
麺類では「ねぎラーメン」が革命的だったね。
そして納豆。辛子を効かして、葱をとんとんって刻んで入れて、そいつをぐるぐるっとかき回したやつを、ほかほかのおまんまの上に…。たまんないね。日本人にうまれてよかった、というより納豆の本場茨城に生まれてよかったと思います。
あれ、葱の話が納豆の話になっちゃった。葱っていうのはあくまで脇役なんだよね。主役を張ることはない。でもそこが奥床しくっていいよねえ。
いや、ほんと嫌いだった。無理して食べて吐いたことすらある。あの甘みが気持ち悪かったのに、その同じ味が好きになるんだねえ。嗜好って絶対的なものではないんだな。
古今亭志ん朝の「二番煎じ」に出てくる伊勢屋の旦那のように、あのすき焼きのくたくたになった葱が、今は心から好き。(「二番煎じ」の方は猪鍋だけど。)また志ん朝の、はふはふしながら葱を食べる仕草がたまらなく旨そうなんだ。
葱と豆腐の味噌汁もしみじみ旨い。昔はあんなに嫌だったのに。不思議なもんだ。豆腐と葱の相性はいいな。冷奴でも湯豆腐でも葱が加わると一段と旨くなる。
焼鳥もね、肉だけよりむしろ「ねぎま」がいい。葱がうまくアクセントになっているんだね。そう言えば、学生の頃通っていた焼鳥屋のメニューに「かもねぎ」というのがあった。何だと思って頼んだら、見事に葱オンリーの串焼きだった。「客の方がカモか?」と冗談を言ったっけ。
蕎麦の場合、あの薬味の葱は、私はあまりいただかない。特にもりの場合はちょっと。蕎麦を邪魔するような気がするんだよな。どこかのフードコートの蕎麦で、「ねぎそば」というのがあって、食べてみたんだが、あんまり葱が多すぎて蕎麦の味なんかしなかった。何事もほどほどだと思いますよ。でも、鳥南蛮、鴨南蛮の葱はいい。まさに絶妙。蕎麦だけつーっとたぐって、後は味のしみた葱をつまみに熱燗を飲むのもいい。
麺類では「ねぎラーメン」が革命的だったね。
そして納豆。辛子を効かして、葱をとんとんって刻んで入れて、そいつをぐるぐるっとかき回したやつを、ほかほかのおまんまの上に…。たまんないね。日本人にうまれてよかった、というより納豆の本場茨城に生まれてよかったと思います。
あれ、葱の話が納豆の話になっちゃった。葱っていうのはあくまで脇役なんだよね。主役を張ることはない。でもそこが奥床しくっていいよねえ。
2012年5月5日土曜日
2012年5月1日火曜日
伝助の根多帳②
2年の冬合宿には、「湯屋番」と「二十四孝」を持って行った。「湯屋番」は、中学生の頃、ラジオで柳家小三治のを聴いて以来、ずっと演りたかったネタだった。小三治のテープが見つからず、文治と圓楽のテープで覚えた。
冬合宿には、技術顧問の三笑亭夢楽師匠が参加して、私たちの噺を聴いてくださった。
「湯屋番」では、まず上下の間違いを直していただく。そして、終盤の芝居がかりになる件は、「学生さんには無理だよ」と言われた。
その後、小朝のテープを聴いて再構築する。芝居がかった所はカット。番台の若旦那に気を取られていた客が「軽石で鼻を擦っちゃった」という所でサゲることにした。序盤では、小三治の「宇都宮の釣天井飯」がどうしてもやりたくて、そこだけ思い出して追加した。
なかなか許可が出なかったので、3年の春合宿でも発表会の高座にかけた。部屋で稽古をしていると、相部屋の1年生である駒っ太君には大分ウケた。だけど、この噺は私のニンに合わなかったみたい。まあこういう一人で盛り上がっちゃう噺(俗に“ひとりキ○ガイ”という)は、ウケないと孤独なんだよなあ。
「二十四孝」も夢楽師匠に批評をいただいた。師匠曰く、「談志さんのテープで覚えたね。」
でも、これも実は文治のテープだった。この辺りから談志の影響を受けたんだろうな。ちなみにこの合宿のコンパでは、夢楽師匠についてきた前座の小夢さん(現在は文生門下の桂扇生)の前で談志の物真似を披露した。
「二十四孝」の同工異曲の噺では「天災」がある。紅羅坊名丸の貫録を出さなければならないので、「天災」の方が大きい噺だ。当時の私は「天災」に説教臭ささを感じていたんだろうな。より乱暴な「二十四孝」の方に惹かれた。あまり人前では演ったことはなかったが、今でも好きな噺の一つである。
冬合宿には、技術顧問の三笑亭夢楽師匠が参加して、私たちの噺を聴いてくださった。
「湯屋番」では、まず上下の間違いを直していただく。そして、終盤の芝居がかりになる件は、「学生さんには無理だよ」と言われた。
その後、小朝のテープを聴いて再構築する。芝居がかった所はカット。番台の若旦那に気を取られていた客が「軽石で鼻を擦っちゃった」という所でサゲることにした。序盤では、小三治の「宇都宮の釣天井飯」がどうしてもやりたくて、そこだけ思い出して追加した。
なかなか許可が出なかったので、3年の春合宿でも発表会の高座にかけた。部屋で稽古をしていると、相部屋の1年生である駒っ太君には大分ウケた。だけど、この噺は私のニンに合わなかったみたい。まあこういう一人で盛り上がっちゃう噺(俗に“ひとりキ○ガイ”という)は、ウケないと孤独なんだよなあ。
「二十四孝」も夢楽師匠に批評をいただいた。師匠曰く、「談志さんのテープで覚えたね。」
でも、これも実は文治のテープだった。この辺りから談志の影響を受けたんだろうな。ちなみにこの合宿のコンパでは、夢楽師匠についてきた前座の小夢さん(現在は文生門下の桂扇生)の前で談志の物真似を披露した。
「二十四孝」の同工異曲の噺では「天災」がある。紅羅坊名丸の貫録を出さなければならないので、「天災」の方が大きい噺だ。当時の私は「天災」に説教臭ささを感じていたんだろうな。より乱暴な「二十四孝」の方に惹かれた。あまり人前では演ったことはなかったが、今でも好きな噺の一つである。
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