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2022年1月1日土曜日

明けましておめでとうございます

朝、雑煮。おせちで父と四合瓶をあらかた飲む。

地区の新年会は、コロナのため2年続けて中止。

一家で村の鎮守の神様に初詣。 



昼はインスタントの味噌ラーメン。

一日中ぼんやりテレビを見る。

萩尾望都『私の少女マンガ講義』読了。

夕食は豚すき焼きで燗酒。食後に妻と白ワイン。

風呂に入って寝しなにボウモアを飲む。


明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2021年12月31日金曜日

大晦日

朝、厚切りトースト、目玉焼き、ウィンナーソーセージ、チキンナゲット、紅茶。

妻は仕事。

ビル・エバンスのピアノソロ『アローン』を聴きながらコーヒーを淹れて、子どもたちと飲む。

車を洗う。寒かったが、見上げると雲ひとつない青空。気持ちいい。

昼は、昨日妻の実家でもらって来たパンを食べる。

昼過ぎ妻が帰って来る。

妻が煮物を始めた。私はベートーベンの第九『合唱』をかけ、中島敦『弟子』を読む。

静かな大晦日。 


写真はこの前歩いた石岡。いつもより大きいレンズで撮る。これも面白い。





2021年12月28日火曜日

仕事納め

今日は仕事納め。午後から休みを取って、帰り道、大洗をちょっとだけ観光する。


まずは名刹、岩船山願入寺。鎌倉時代、浄土真宗の開祖、親鸞の孫、如信のよって開山された。その後衰微していたが、水戸二代藩主光圀の手によって現地に移転した。

幕末の天狗党の乱では門閥派の拠点になっていた。元治元年(1864年)8月12日、松平頼徳軍の歩士頭(かちがしら)立原朴次郎率いる八百名が攻撃、水戸藩兵は総崩れになって逃亡した。立原の軍勢は水戸藩兵が潜んでいることを恐れ、堂宇に火を放った。寺内から14名の死体が確認されたが、水戸藩士は馬廻組(うままわりぐみ)川立捨三郎、1名のみだった。(吉村昭『天狗争乱』より)

山門

本堂

開基堂

梵鐘

本堂は損傷がひどく、縄が張り巡らされている。下に参拝用の仏壇が設けられていた。とあるブログで読んだが、震災で立入禁止になったのだという。

水戸徳川家所縁の寺だからか、山門の扉には葵の御紋が彫られていた。この門は尾張徳川家御廟所の表門を移築したものだという。見事だねえ。


境内には親鸞聖人の銅像があった。


本堂脇に回ると、「磯節の父、渡辺竹楽房」の像がある。


かつてこの辺り、祝町は花街であった。俚謡俗謡も盛んだったのだな。


お次は大洗磯前神社。

随神門

拝殿。茅の輪くぐりがあった。

本殿

ざっとお参りを済ませ、石段を下りて神磯の鳥居へ行く。



文徳天皇の御代、ここに祭神が降り立った。何度見ても神々しい。


もう一度、この石段を上る。けっこうきついのよ、これが。


今日は一日寒かった。疲れていたのか、家に帰ったらうたた寝してしまいました。

2021年12月25日土曜日

メリークリスマス

昨日のイヴは、鶏ももの照り焼き、チーズフォンデュ、生ハムサラダで、妻の実家から送ってくれた白ワインを飲む。

寝しなには妻が買ってくれたボウモアを飲んだ。


今朝は雨。6時半ごろまで明るくならなかった。

朝食はバタートースト、コーンスープ、スクランブルエッグ、ウィンナーソーセージ。

妻は仕事に行った。

雨が上がり晴れる。午前中はドビュッシーのピアノソナタ、友部正人を聴きながら書き物をする。

朝から飲んでるわけではありません。

昼は炒飯を作って食べる。香味シャンタンが足りず、ちょっと味が薄かった。ただ、今回は、まず飯に卵を混ぜてから炒めたのだが、これが当たり。胡椒を振って食べたら旨かった。

午後は年賀状を刷る。

夕方、妻とお疲れ生の缶ビール。

長男はアルバイトに行った。

夕食は、トマト煮、モツ炒め、蓮根チップで酒。妹夫婦からもらった長野の酒、大雪渓大吟醸。旨し。

食後、妻とホットワインを飲む。



風呂に入ってボウモアを飲む。


メリークリスマス。

失政を失政と認めない。失政を大部分の国民もマスコミも糾弾しない。失政を批判している方が揶揄される。もはやディストピアだな。

メリークリスマス。メリークリスマス。メリークリスマス・・・。


2021年12月23日木曜日

昨日は冬至

昨日は冬至。

「ん」のつくものを食べると縁起がいいという。そこで妻は落語の『ん廻し』のようなメニューを用意する。「なんきん(かぼちゃ)」の味噌汁、「れんこん(蓮根)」の挽肉はさみ焼に洋風炒め、洋風炒めにはオリーブオイルと「にんにく」を使っている。酒は吉乃川純米(じゅんまい)の燗(かん)。さて、豆腐の田楽は何本になったかな。旨かったよ、奥さん。

父が柚子をどっさり貰って来たので、ここんとこ風呂は柚子湯にしている。いつもは2個はいっているが、冬至の昨日は5個。豪華版だった。(今日は2個に戻っていた)


今朝はボブ・ディランを聞きながら仕事に行った。真っ白に霜が降りた風景を見ながら聞く「北国の少女」はいい。


小さい頃から忘れ物が多く、落ち着きがなかった。複数のことを同時にやるのが苦手だった。こだわりが強く、パニックを起こすこともあった。たぶん、ADHD的傾向があったんだろう。

色々あったが、年を取るにつれコーティングされて、表面上は普通になってきた。それでも、時々メッキがはがれてへまをする。そういう時は周りに助けを求める。「自分はこういうミスをするからカバーしてね」とか「チェックしてね」とか。大体職場は周りがほとんど年下だから頼みやすい。そう思えば年を取るのも悪くない。

そもそも人はミスをするものだ。完璧を求められるのは苦しい。失敗が許されないような状況は「ブラック」である。そんな状況に追い込まれないよう自分を守る必要がある。

言い訳だけは巧くなった。しょうがねえな、まったく。




 

2021年12月18日土曜日

さぞかし山は雪だんべえ

朝、御飯、味噌汁、ハンバーグ、納豆。

次男が土曜講座だというので駅まで送る。帰りに霞ケ浦の堤防に回る。風が強く寒い。 



妻は仕事に行った。長男とコーヒーを淹れて飲む。

灯油を買って来て家のストーブに給油する。

八海くんから電話。根室は吹雪だという。松弥くんの話になる。

長男と図書館に行く。プルースト『失われた時を求めて』を拾い読む。

昼は賞味期限が切れていたカップラーメンを食べる。私は横浜家系、長男はどん兵衛。

午後、長男がバイトに行く。今日は私だけが一日フリー。

夕食は大根と豚肉、きのこの鍋、ししゃもで燗酒。食後に妻と赤ワインを飲む。

風呂に入って、寝しなにアイリッシュウィスキー。


今日は一日寒かった。さぞかし山は雪だんべえ。

2021年12月15日水曜日

松竹亭松弥くんを悼む

 大学の落研の2年下、松竹亭松弥くんが亡くなった。それを知ったのは、彼と同期の五里んくんのFBでだった。


彼の落語は面白かった。口調や仕草が独特だった。私の得意ネタ『豆や』を引き継いでくれたが、その高座姿が今でも目に浮かぶ。

宴会では先頭に立って盛り上げた。まるで昔の柳家の若手のように裸芸をいとわなかった。皆、ひっくり返って笑った。

統率力があり、よく同輩や後輩を引き連れて遊んでいた。

小田急線喜多見駅近くのアパートに住んでいた。私は同じ喜多見にいた高山T君のアパートで話し込んだ後、よく松弥くんのアパートに泊まった。部屋に裸電球がぶら下がっていたのを覚えている。私はいつかここで、ちょっとした深い話をしたことがあった。彼は私のために怒ってくれた。それがうれしかった。


松弥くんといえば、野球の話は避けて通れない。

実は、私は野球がわりかし得意で、1年から落研チームの四番なんか打っていたのだ。当時はリクレーションというと、ソフトボールをよくやっていて、派手にホームランをかっとばしたりしてもいたのだ。

ところが、松弥くんのソフトボールのデビュー戦のことだ。彼は、初打席で圧巻のレフトオーバーのホームランを放った。打球は、サードを守っていた私の頭上をはるかに越え、レフト奥の土手に突き刺さった。今でも目に焼き付いている。それを見て、私の同期の悟空くんは、いみじくも「伝助の時代も終わったな」と言ったものだ。

卒業後は埼玉県の高校の教員になり、以来ずっと高校野球の指導者の道を歩いた。

埼玉県の古豪の野球部長や、確か母校の監督も務めたのではなかったか。ご子息も高校球児だったと記憶している。

彼が古豪の部長だった時、部室が盗難に遭って、その犯人を部員とつきとめたことがあった。それが新聞に載り、それを私は大福さんのブログで知った。いかにも松弥くんらしいエピソードだった。そんな青春ドラマみたいなことをやってのけたのも、彼の真っ直ぐな正義感と行動力の賜物だったように思う。松竹亭松弥は熱い男だった。


最後に松弥くんに会ったのは、2012年11月のOB会だった。学生時代まんまでうれしかったな。

2017年7月のOB会は、全国高校野球選手権埼玉県大会の開会式の日で、松弥くんは欠席した。まあ当然だよな。でももう会えないと思うと悔やまれる。


59歳の死はあまりに早い。元気な人だったから、うまく現実に結びつかない。ただ茫然としている。

心よりご冥福を祈る。