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2020年6月22日月曜日

雨の日のビリー・ホリデイ

休みが取れたので、昼前に帰る。
妻は友だちとランチに出掛けた。
長男が家にいて、大学のリモート授業を受けている。
昼は妻が作っておいたかつ丼を食べる。食後にコーヒーを淹れる。
ビリー・ホリデイのレコードを2枚聴く。ヴォーグ盤の『ビリー・ホリデイの世界』『ビリー・ホリデイ・ラスト・レコーディング』。雨の日のビリー・ホリデイはいい。

村上春樹の『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(1997年刊)の中の「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」を読む。
こんな内容の文章だ。

村上春樹が高校時代の話。ある女の子について、誰かが何かよく分からない名前を口にしたので、その子のあだ名だと思って、村上は何の気なしに教室の黒板に書いた。彼女はそれを見て真っ青になる。村上がそれを書いたことを認めると、泣き出して教室を出て行った。それ以降、クラスの女の子のほとんどが村上に口をきいてくれなくなった。一週間ほどして、二人の女の子が村上に事情を説明してくれた。村上が黒板に書いたのは、神戸の被差別部落のひとつの俗称で、泣き出した子はそこの地域の住人だったという。村上は何も知らなかったことを弁明した上で謝罪し、彼女も謝罪を受け入れてくれたという。
このエピソードを受けて、村上はこう書く。
「それがショッキングだったのは(中略)そのときの僕には、そんなことで人が人を差別するという事実がよく呑み込めなかったからだ。でもただそれだけではない。僕にとってそれよりもショッキングだったのは、この世界では人は誰でも、無自覚のうちに誰かに対する無意識の加害者になりうるのだという、残酷で冷徹な事実だった。僕は今でも一人の作家として、そのことを深く深く怯えている。
 でも、そのときにみんなで結束して、僕とひとことも口をきいてくれなかったクラスの女の子たちのことを思い出すと、今でも少し胸が熱くなる。それが僕のこの、あまり思い出したくない重苦しい話のポジティブな側面である。」

差別という事に関して、最近、考えさせられることが多い。
村上春樹の「そんなことで人が人を差別するという事実がよく呑み込めなかった」という健全さと「この世界では人は誰でも、無自覚のうちに誰かに対する無意識の加害者になりうるのだという、残酷で冷徹な事実」に怯える謙虚さを思う。
それに対して醜いと思うのは、そこにある差別をなかったことにする人たちや、差別で商売しようとしている人たちである。本屋で平積みになっているそっち系の本を見るだけで気持ちが悪くなる。地獄の釜の蓋が開いたような世界に、私たちは生きている。

ラジカセが壊れてカセットテープが聴けなくなったので、夕方、ケーズデンキへ行って3000円もしない安いやつを買って来る。これで寝しなに落語が聴ける。
夕食はカレー。うちのカレーは旨い。

ミー太郎の寝床も冷感素材にしました。


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