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2021年9月4日土曜日

桂文楽の住まい

この前、八代目桂文楽の『あばらかべっそん』を読み返した。

ここで、文楽が住んだ所を辿ってみたい。

まず、並河益義少年が住んだ根岸の家。『あばらかべっそん』の中で、文楽は「根岸の家というのはちょうどいまの花柳界のまん中あたりでしたが」と言っている。

国土地理院の地図の博物館で買って来た「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内 下谷區詳細図」で見ると、この辺りですな。(その後、益義少年は10歳で横浜住吉町一丁目十一番地の多勢商店に奉公に出された)

三業組合の辺りは「松平様」のお屋敷があった所だ。
 

2020年2月、根岸を歩いた時の写真。花柳界があった柳通。

明治41年(1908年)、並河益義は初代桂小南に入門し、桂小莚の名前をもらう。そして浅草瓦町28番地の小南の家に住み込む。後に小南は浅草須賀町に引っ越し、大阪から両親を呼び寄せた。小南は父親に汁粉屋をやらせたが、その汁粉屋の二階に小莚は暮らした。そして、浅草三筋町の朝寝坊むらく(後の三代目三遊亭圓馬)のもとに稽古に通った。

これも国土地理院の地図の博物館で買って来た「明治40年東京市15区番地界入 浅草区全区」を見てみた。

青で囲ったのが、瓦町28番地。赤で囲ったのが須賀町である。

「いまこんな町名、みんな蔵前何丁目と一括されてしまったんでしょう」と文楽は言う。「昭和三十三年大東京立体地圖」(これも国土地理院の地図の博物館で買って来た)ではこの辺りか。


明治44年(1911年)、師匠小南は三遊派から別派を作ろうと画策して失敗。大阪に引き上げる。小莚は師匠をなくしたため、旅回りに出る。

旅から帰ったのは大正5年(1916年)。翁家さん馬(後の八代目桂文治)門下となり、翁家さん生と改名する。ところが、さん馬が睦会参加の約束を反故にして演芸会社に加入するのに憤慨し、睦会副会長五代目柳亭左楽のもとに身を寄せる。左楽に相談に行ったのが、「私がまださん生でこの黒門町のお化け横丁—箭弓稲荷の横に二階借りをしていたじぶんです」とのことだった。

黒門町箭弓稲荷は、「下谷區詳細図」では下図の赤で囲った所である。(地図では「箭矢稲荷」になっている)


箭弓稲荷。

奉納額には桂文楽の名前が見える。

同年、さん生は大阪で知り合った紅梅亭のお茶子、おえんと御徒町で所帯を持った。翌年には翁家馬之助で真打ちに昇進する。




しかし大正8年(1919年)、馬之助は江戸橋の旅館丸勘の女主人鵜飼富貴と結婚、婿に入る。おえんには手切れ金を渡して別れたという。翌年は八代目桂文楽を襲名する。(文楽襲名にかかる費用は丸勘から出た)

青で囲んだ所が江戸橋。

「昭和三十三年大東京立体地圖」より。
丸勘は昭和通りの辺りにあったという。

丸勘は大正12年(1923年)の関東大震災で全壊。文楽は弟子文雀(後の七代目橘家圓蔵)と中野に疎開し一時すいとん屋をやったが、間もなく鵜飼富貴から逃れるために北海道へ巡業に出る。

翌大正13年(1924年)、横浜の芸者、しんと結婚。西黒門町に所帯を持つ。が、このしんともすぐに別れ、長く連れ添う寿江夫人と結婚する。「贔屓のひーさん」樋口由恵の仲人で神田明神で式を挙げ、講武所の花屋で披露宴をした。

なお、丸勘から焼け出された後の話は『あばらかべっそん』には書いていない。柳家小満んが七代目圓蔵から聞いた話をもとに書いた『べけんや』の記述に拠った。

また、名古屋を拠点とした落語家、雷門福助によると、西黒門町の家は元は音曲師の文の家かしくの家で、かしくの死後、文楽がかしくのかみさんと関係を持ち入り込んだのだという。とすれば、それはしんとの結婚前、北海道巡業から帰った後のことか。

ちなみに、文雀はしんの悪い噂を文楽の耳に入れ、かえって逆鱗に触れて破門になってしまった。ここから大戦後まで、圓蔵師匠の不遇の「てんてん人生」は続く。

赤点の所が文楽宅。
地図は昭和12年当時のもの。

黒門町の文楽宅跡地。

この路地の左側。

住居も妻も転々と変えた文楽は、寿江夫人との結婚を機に黒門町に腰を落ち着けた。そうして「黒門町の師匠」と呼ばれるようになるのである。

6 件のコメント:

moonpapa さんのコメント...

折につけ八代目桂文楽(当代も四角くっていい味ですが、ここでは
「八代目」というのが大事ですね)に対する愛情を感じます。…いつか、落語のラベルだけでもけっこうですから文庫化してください。(笑)

densuke さんのコメント...

ありがとうございます。
黒門町については、掘れば色々出てくるので、まだまだ書き続けたいと思います。
これからもお付き合いのほどを願っておきます。

匿名 さんのコメント...

黒門町って聞くと旧帝大が近くて歴史を感じるのと、名前の黒門町ってのが渋くて良いですよねぇ。でも近くにアメ横やキャッチのお兄さん達がいるのがアレですけどね。

densuke さんのコメント...

「黒門町」という響きには、威厳があって、それでいて色気もある。「黒門町の師匠」は文楽を形容するのに素晴らしいネーミングだと思います。

隆一 さんのコメント...

Densukeさん、お久しぶりです。
実は今日の仕事で湯島に行ったら取引先の方が落語が趣味と言うことで、
話題になり、そこで旧黒門町も近かったのでついでに寄ってみました。
狭くて閑静ながらも何処かズッシリとした雰囲気。
文楽さんが居住を構えていた場所と思うとしっくり来ます。

densuke さんのコメント...

文楽の住居跡は、まだ空地になっていますね。
私の学生の頃はまだ建物があったみたいです。行けばよかったなあと思います。
でも、なかなかいい雰囲気が残っていますよね。
私にとっては「聖地」であります。