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2016年4月15日金曜日

鉾田を歩く②

昨日の続き。
鉾田川の川沿いから、街中へと歩く。

徳川慶喜公が舟に乗った、田山河岸の辺り。

鉾田川沿いにある、宝来多座。元は映画館だった。

宝来多座全景。

うっすら「八ッ橋商店」と書いてある。






高台から望む鉾田の街。

最後は桜で。

昼は街中の喫茶店「もんく」でナポリミート。スパゲティナポリタンにミートソースがかかっている、この店のオリジナルメニュー。旨し。お昼時で満席。ここもまた長年、地元の人たちに愛されてきた店である。

2016年4月14日木曜日

鉾田を歩く

ちょっと前、鉾田の街を歩いた。
その時の写真を載せてみる。

まずは三光院の脇にある、金毘羅神社に上ってみる。
江戸時代は法宿山根本寺三光院の別当だったが、明治の神仏分離令によって独立したという。



拝殿。

なかなかにカラフルな本殿。

上から見ると映画「転校生」を思わせる石段。

金毘羅様の由来を書いた看板。

その後、街中に向かってぶらぶら歩く。

街の真ん中を流れる鉾田川。その昔、鉾田は水運で栄えた街だった。
最後の将軍、徳川慶喜は水戸を去る時、陸路で鉾田まで出て、ここから銚子へ向けて舟に乗った。

慶喜公はこの川を下り、その後水戸の地を踏むことは二度となかった。

その鉾田川にはコクチョウが泳いでいた。

コクチョウの親子。

河岸の跡が整備されていた。

往時の写真が展示されている。


かつて栄えた面影を残すのは当時の写真だけ。ひっそりとした佇まいでありました。

2016年4月10日日曜日

週末の日記


昨日は午前中、稲の種まきをする。
昼はざるそば。
午後、タイヤの履き替え等の雑事をこなす。
桜吹雪の中を行く。
夕方、ハートランドビール。
夕食は刺身で、神亀ひこ孫、渡舟純米大吟醸を飲む。すっげえ旨し。
寝酒にボウモア。これまた至福のひと時。


昨日と同じ道を通って、今日はウェルサイト石岡へ。
子どもたちがゲーセンで遊んでいる間、ケーズデンキで買い物。
昼はヨークベニマルで買って来たコロッケとアジフライ。
夕方、同級生の父親の通夜に行く。
夕食は、グラタン、ほっけ、切り干し大根を入れた納豆で酒。

以下は、昼間、家の周りを撮った写真。春爛漫ですなあ。




甕で飼っている金魚。でぶきん、ちびきん、仲睦まじく。

下の畑の桜。菜の花とのコラボレーション。




この土日で桜も終わりかねえ。

2016年4月8日金曜日

広瀬和生『落語評論はなぜ役に立たないのか』

『大人の落語評論』で批判されている(名指しではないが多分間違いないだろう)、広瀬和生の『落語評論はなぜ役に立たないのか』を再読してみた。
彼の戦後の落語史観はこんな感じ。 

戦後の文楽・志ん生の時代、安藤鶴夫を中心に「古典落語」という概念が成立する。その後も、圓生・正蔵・小さんから志ん朝・談志といった古典派の名手が落語界を牽引し、「古典落語」は、トップブランドとして揺るぎない地位を得るに至った。と同時に、いつのまにか「古典落語とは伝統の継承である」という理念が先行し、「教わったものをそのまま演じるのが正統派」という間違った評価が下されるようになる。その結果、つまらない演者が増え、落語は一般客から背を向けられるようになった。事実、1990年代には寄席に閑古鳥が鳴き、テレビからは落語番組が消える。
一方、落語界の風雲児立川談志は立川派を創設、「己を語る落語」で演芸ファンだけでなく、幅広い観客に感動を与えた。そして談志の薫陶を受けた志の輔・志らくといった面々が「自分の言葉で落語を語る」ようになり、立川派は支持を広げていく。
しかし、個性の強い談志は敵も多い。談志が嫌いな寄席派は立川派を認めなかった。立川派の落語家を、寄席での修業を経験していないことを理由に切って捨てた。そして、彼らが一般の観客に評価され始めると無視を決め込んだ。先鋭的な、今日的に面白い落語を演じる立川派を無視し、「教わったものをそのまま演じる」演者を「本寸法」として持ち上げる。こうして守旧派の評論家は、落語評論家の務めである「誰が面白いか」の情報を的確に発信することを放棄し、「役に立たない落語評論」を垂れ流すだけの存在になったのだ。

さすが東大工学部卒。論理は明晰、すっきりしてる。 筆者は1960年生まれ。『大人の落語評論』を書いた稲田和浩と同い年。ついでに言えば私も同年代だ。
同じ時代を生きてきた者の一人として、大筋の流れとして間違いはないとは思うが、どうも結論ありきの印象は否定できない。
まず、守旧派が立川談志及び立川派を排斥したようなことを言っているが、ちょっとイメージ操作の匂いがする。私の印象としては、談志や吉川潮、志らくといった人たちの、寄席派の落語家に対する攻撃の方がもっとすごかった。談志の提唱する落語観こそが正当で、寄席なんて生温い環境でしかない。小さんや志ん朝を批判し、小三治を黙殺し、さん喬・権太楼など存在しないかのような論陣を張ったのは、談志を筆頭に、立川派及びそのシンパではなかったか。そして、その結果影響を受けた立川原理主義者を多く輩出することになったのではないか。
確かに当時、落語は危機的状況にあったのだろう。事態を打開し、新しい価値観を浸透させるためには劇薬が必要だ。それには敵を作り、それを叩くのが手っ取り早い。だけど、それで傷ついた人は多い。それによって守旧派と言われた人たちが態度を硬化させたとしても、それはそれでしょうがないんじゃないかと思う。
それともう一つ。広瀬もまた、守旧派守旧派と言うが、それが誰を指すのか明らかにしていない。彼らの言説の出典も明らかにしようとしない。批判するなら正々堂々と批判したらいいじゃないか。

広瀬は年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接しているという。その蓄積は重い。それだけに、いまだに「昭和の名人」のことしか語ろうとしない、守旧派が腹に据えかねたのだろう。
新しい落語ファンのために「役立つ落語評論」が必要だ、という主張も理解できる。言ってることは間違いじゃないし、ベスト10として選んでいる落語家も納得できる。落語の間口を広げるためによく頑張っていると思う。
ただ、誰だかよくわからない敵を叩くことはもうやめにしないか、とだけ私は言いたいのですよ。 

付記。先日、本屋で志らくの本を立ち読みしてたら、「師匠談志は、それまで文楽・志ん生だった世間の評価を、志ん生・文楽に逆転させた。私は志ん朝・談志を、談志・志ん朝にさせたい」みたいなことが書いてあった。いいよもう、そんなこと・・・。

2016年4月5日火曜日

大洗小景

2月の末、大洗を歩いた時の写真。

大洗駅にあった、開業時のヘッドマーク。

素敵なフォント。


大洗は坂の街でもある。

いい名前だねえ。

トタンの風合いがたまんない。

釣具屋の店頭。ほとんど必然性のない水着。

路地の奥に海が見える。


灯台のてっぺんに鷗。

鷗が止まっている灯台。

坂の上から海が見える。




磯前神社鳥居近くの三叉路。

2016年4月3日日曜日

鉾田、おにざわの天もり


鉾田、おにざわの天もりの大。
昔は鉾田の街中にあったが、今はバイパスの方に店を構えている。
いつ行っても混んでいる、鉾田一の人気店である。
何といっても、この海老天のすごいこと。
ではアップで、どーん。


何本か繋げて揚げているのだとは思うが、それにしてもでかい。
重くて一度にかぶりつくのは無理。箸で切って何回かに分けて食べる。胡麻油の香りがまた、たまんないのだ。
蕎麦は太めでしっかり腰がある。つゆはちょっと甘めかな。


大満足。旨し、でした。
お近くに来たら、是非お試しを。
ちなみに、会計の時に次回は100円引きになる券を貰える。近いうちにまた行きたいねえ。

2016年4月2日土曜日

稲田和浩『大人の落語評論』

動機が勝った本だな、という感想をまず持った。
最近の落語評論に対する風当たりの強さに対して、「本来の落語評論家の使命は落語の今を伝えることで、落語をこれから聴く人に、面白い落語、聴いて損のない落語家の情報提供に徹するべきだ」という風潮に対して、異を唱えたかったのだろう。それと、立川談志原理主義の跋扈に対する違和感か。それらを筆者は厳しく批判する。
その上で、「役に立つ、立たない」といった狭い価値観に依るものではない、「何でも談志が正しい、家元マンセー」的なガキみたいな評論ではない、「自分で考え何かを導き出す」、「色んな形で落語を語ることを『是』とする」、「大人の落語評論」を、筆者は提唱する。
これは私の考えに近い。 筆者は1960年生まれ。はっきりとは書いていないが、日大芸術学部の落研にいたと思われる。私も彼と同じ時代の空気をたっぷりと吸った。芸の好みも近いものがある。だから、彼の語る落語論・落語家論はすんなりと肌になじむ。むしろ、その大筋に賛同を示したい。
特に立川談志を「名人」として認めた上で、きちっと批判している点は画期的だった。アンチでもない信者でもない視座からの談志論を試みたのは、大きな収穫だったと思う。(ただ、いささかとっ散らかった印象はあるな。談志を客観的に語るというのは、かくも困難なことなのだ。)
一方で不満も残る。
ひとつは談志原理主義者を批判しながら、その総本山、吉川潮に対しては「談志原理主義者を徹底的に実践し、立川流の顧問にまでなってしまえば、それは談志を極めたわけで、スゴいと思う」とし、日大芸術学部の後輩、立川志らくに対しては「弟子はいいんだよ」と、その切っ先が鈍る所だ。彼らは落語に関する著作も多く、立派な評論家と言ってもいい。いや実際に落語評論家として影響力を持っている。なのに「始末に悪いのは『談志がこう言っている』とか『家元の価値観とは違う』とか、談志の理論を伝家の宝刀だと思い込んで振り回しているバカな評論家がいることだ。どうして評論家のくせに談志原理主義者なんだ」と言っておきながら、舌の根も乾かぬうちに前述のようなフォローをするのは、ちょっと潔くないんじゃないか。
もうひとつは、批判の対象をはっきりさせないことである。古今亭志ん朝を論じている所で「志ん朝の死を『落語の終焉』と書いたバカな評論家もいたっけ」と言っているのは、小林信彦のことを指しているのだろう。前述の、筆者が批判している「本来の落語評論家の使命は落語の今を伝えることで、落語をこれから聴く人に、面白い落語、聴いて損のない落語家の情報提供に徹するべきだ」という主張は広瀬和生のものだ。筆者は「落語評論家にはどんな人がいるか」という項を立てて評論家の名前を挙げているが、広瀬和生の名前はそこにはない。堀井憲一郎を取り上げながら広瀬を外しているのだから、それはかなり意図的なものに違いない。
この頃、この出処をはっきりさせない批判というのが目立つような気がする。狭い世界の中で、事を荒立てることもあるまいという配慮からなのか、誹謗中傷とか営業妨害だとかで訴えられることを回避するためか、詳しいことは分からない。ただ、それではどうしても何か腰が据わらない感じがするし、客観性も保たれまい。かつて漫画家のいしかわじゅんは、同業者の柴門ふみに対し、敢然と「愚かだぞ、柴門ふみ」という批判文を書いた。それはいっそ清々しくさえあったぞ。
まあ、何にせよ好きな落語のことについて語るのは楽しい。それをどのように語っても、結局は「落語のためになるのだ」という道を示してくれたことはありがたい。勇気を貰えた本でありました。