ページビューの合計

2016年12月21日水曜日

府中誉


石岡市の酒蔵、府中誉。茨城が誇る銘酒「渡舟」の蔵元である。
渡舟というのは酒米の名前だ。あの山田錦の親にあたる。
作るのが難しく、長い間幻の酒米になっていたのを、八郷の農家に頼み込んで作ってもらったのだと聞いた。山田錦のような洗練された酒米ではないので、酒造りにも苦労があったという。男っぽい、旨い酒だ。
お使い物にするのにいい日本酒を、と頼まれたので、とっさに浮かんだのが、この「渡舟」だった。ところが、今年は原料の米が不作で、生産量が減るという噂。店で探すより蔵元の方が確実だろうと思って行ってみた。
「渡舟・純米大吟醸」、4合瓶で5000円を2本ゲット。受け取った人はとても喜んでくれたとのこと。選んだこちらとしても嬉しいや。

近くをちょっとだけ歩く。さすがに12月、暗くなるのが早い。








2016年12月19日月曜日

吾妻庵総本店 カレー南蛮そば


土浦、吾妻庵総本店、カレー南蛮そば。800円くらいだったかな。
長男と土浦を散歩した時の昼食。長男はいつものざるそばを食べた。
ちょうど前の日、昼のテレビ、タカ&トシの路線バスの旅で紹介されていたばかり。昼時というのもあって、ほぼ満席だった。
粋に「もり」といきたかったけど、外を歩いて寒かったので、温まりたかったのよ。ふうふうしながらいただきました。カレーの辛味で体の中からほっかほか。ちゃんとそばつゆの出汁が利いている。旨し。
100年以上続く老舗。御飯ものはやっていない。それでいて気取りがない。正しい街の蕎麦屋さんである。

この店構えに、ゲストのピーターも心を奪われておりました。

2016年12月17日土曜日

冬晴れの日

朝、マフィン、オニオンスープ、紅茶。
子どもたちが髪を切りに行く。
留守番。CDを聴きながら、絵を描く。


昼は和風パスタ。たらことツナ醤油をハーフハーフ。
親子4人でWiiパーティーをやった後、ちょっとお出掛け。
買い物のついでに、小川の街を散歩する。
きりっとした冬晴れ。歩いていて気持ちいい。


大町商店街。

素鵞神社は屋根の葺き替え中。



素敵な洋館。元は医院。

園部川。

橋向商店街。

1時間ほど歩いて帰り、買って来たハートランドビールを飲む。
夕食はおでんで燗酒。温まるなあ。
『笑伝林家三平』再読。読了。
仕上げはタラモアデュー。


2016年12月15日木曜日

石岡イオンの洋食屋


ちょっと前、長男と行った石岡イオン1階にある洋食屋のハンバーグセット。
ハンバーグはデミグラスソースがかかった、オーソドックスタイプ。ボリュームもあって旨し。


これにスープとコーヒーが付いて1000円也。


昔からあったけど、入るのは初めて。
けっこうお客がいた。固定ファンが多いみたい。

長男が食べたミックスピザも旨そうだった。


店構えもデパートのレストランっぽくていいなあ。



パスタの種類が豊富だった。今度はパスタに挑戦してみよう。

2016年12月6日火曜日

初冬の土浦散歩

先日、土浦を散歩した。
1回目は、モール505付近の駐車場に車を止め、桜川の方を歩いた。
この日は、木枯らしが吹きすさび、寒かったなあ。
駅ビルのパン屋のイートインに入り、コーヒーを飲みフレンチトーストのハムサンドを食べる。
本屋で買った平松洋子を読んだ。

その時の写真。

モール505。人通りもない。

武蔵屋。かっこいいなあ。





橋の上は歩くのに苦労するぐらい風が強かった。




2回目はまちかど蔵の駐車場に車を止め、喫茶蔵でコーヒーホットアップルタルト。
中城通りから亀城公園を歩く。

喫茶、蔵。


吾妻庵の店先の、見事な盆栽。


周りの建物がなくなって、見事な蔵がよく見えるようになった。


亀城公園に入る。

冬枯れになったおかげで東櫓がよく見える。

楼門。

西櫓。






中城通りに戻る。

2016年12月4日日曜日

散歩の休日

昨日の日記。
朝はコストコのパンケーキとクロワッサン、卵とポークビッツの炒め物、サラダ、紅茶。
子どもたちと霞ヶ浦の堤防を散歩。2キロぐらい歩く。

船溜まり。

きれいに水を切って鴨が泳ぐ。

筑波山がよく見えた。

夕方、車の点検に行く。
夕食は秋刀魚の竜田揚げ、煮物で酒。秋刀魚は、八海君が送ってくれたもの。旨し。
寝しなにタラモアデュー。金子光晴『どくろ杯』を読む。

今日の日記。
朝はコーンフレーク、クロワッサン、ハムエッグ、紅茶。
今日も子どもたちを連れ、霞ヶ浦の堤防を散歩。今日は公園に車を止め、園部川の河口まで歩く。


園部川。

河口近くの霞ヶ浦には白鳥のつがいがいるのだ。


昼はマルちゃん生麺の味噌。
休日のお楽しみ、夕方ビール。ビル・エバンス『ワルツ・フォー・デビィ』を聴きながら、ハートランドビール。旨いなあ。つまみなんかいらないや。
夕食は白菜と豚バラ肉の鍋、モツ煮込み、きつね納豆、玉子豆腐で酒。
『どくろ杯』読了。

この週末は散歩の休日でありました。


2016年12月3日土曜日

圓朝襲名にまつわるエトセトラ・続き

先日「圓朝襲名にまつわるエトセトラ」という記事を書いた。
その中で春風亭小朝の圓朝襲名の話題に触れ、この話を「筋目がよくない」と言ったことについて、あれからあれこれ考えている。
その時、私は小朝の大師匠八代目林家正蔵について「柳派に近い」としたが、それがちょっと引っかかっているのだ。確かに正蔵が敬愛したのは三代目柳家小さんである。そして四代目小さんの前名蝶花楼馬楽を襲名し、四代目の死後は後の五代目小さんとなる小三治と、小さん争奪戦を繰り広げた。しかし、彼が三代目小さんの門下になった時、名前は一朝爺さんから貰った三遊亭圓楽のままだった。小さん名跡を争ったものの、彼の芸そのものは三遊派であり、小三治が小さんになったのは必然だったと私は思う。とすると八代目正蔵は言うまでもなく、その孫弟子である小朝も、三遊派の流れを汲んでいると言っていいか。
それから小朝の弟子が、橘家圓太郎を襲名していたことを失念していた。橘家といえば、これはもう紛れもなく三遊派の名前である。しかもその初代が三遊亭圓朝の実父だったことを考えれば、小朝の圓朝襲名もまんざら「筋目のよくない話」でもない。 

小朝の圓朝襲名が話題になったのは2008年頃である。「東京ポッド許可局」というブログの「小朝論補足」という、当時の記事が残っている。
それによると、小朝は圓朝襲名に向かって、数々の布石を打ってきたという。
小朝は師匠五代目柳朝を早くに失い、後ろ盾がない。そのため自力で這い上がるしかなく、着々と政治力を養って来た。
真打の弟子にはあえて春風亭の名前を与えず、橘家圓太郎、五明楼玉の輔といった古い名跡を襲名させた。
九代目正蔵・二代目三平の襲名をバックアップすることで、妻の実家海老名家の支持を取り付ける。
2003年には六人の会を結成。立川志の輔(立川派)、笑福亭鶴瓶(上方落語協会)、柳家花緑・林家正蔵(落語協会)、春風亭昇太(芸術協会)と各団体の重要人物を抑えた。
1990年の博品館劇場1ヶ月に及ぶ独演会、1997年の日本武道館での独演会で圧倒的な集客力は証明されている。自作の新作を口演することで、圓朝という名にふさわしい創作力もアピールできた。
どれも圓朝襲名という壮大な詰将棋に向けて積み重ねられてきたものだ。10年後には具体的な段階を迎えるだろう。 

以上がその要約だが、なるほどまるっきり荒唐無稽な話でもない。それなりの説得力を持っている。
しかし、ここにあるのは「仕掛け」だけだ。大事なことが抜けている。それは、誰もが納得する芸の力だ。それを獲得しようという気迫が、今の小朝にあるだろうか。「越路吹雪物語」や「カラオケ葬」などの新作が、圓朝にふさわしい創作力を証明するものになるのだろうか。 

前述のブログの筆者はこう言っていた。
今の小朝には高座で「本気」になるモチベーションがない。逆に言うと、彼が「本気」になった時、それは「準備がすべて整った」ことを意味する。その時を待ちたい、と。 

六代目三遊亭圓生は「芸は砂の山だ。いつも少しずつ崩れている。一歩登ったら、実は一歩崩れている。そこにとどまれば落ちてしまう。だから、芸の山を登るのならば、崩れるスピードより早く登らなければいけないのだ」と言ったという。
詰将棋のように政治力で準備を重ね、機を見て「本気」を出す。そんなことが可能なのか。落語家にとって全盛期ともいえる50代のほとんどを、プレーヤーとしてよりプロデューサーとしての活動の方に重点を置いてきたことが、小朝にとってプラスになったのだろうか。
小朝の才能は誰しも認める所である。華麗な語り口、色気、洒落たセンス、彼の落語が一級品であることに間違いはない。でも、どうしてだろう。私は彼の落語に「感心」はしても「感動」はしない。

「具体的になる」という10年後が、間もなくやって来る。春風亭小朝の「本気」は果たして訪れるのか。

 ― ふと小朝のブログを覗いたら、来年は久し振りに寄席でトリをとるという。小朝の「本気」を期待したい。圓朝襲名はどうでもいいが、小朝のように名人になれる人には名人になって欲しいと、私は思う。