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2017年8月1日火曜日

八海くんちのマンガ

以前、大福さんが、「落語のテープを借りるなら八海さん」とブログに書いていた。
八海くんは当時、ダブルカセットを持っていて、ばんばんダビングしていたのに加え、ラジオの落語番組をかたっぱしから録音していたので、そのコレクションは瞬く間に増えていった。新ネタを仕込むために、皆、八海くんのコレクションのお世話になった。

ふと私が八海くんで思い出したのは、「マンガを読むなら八海の所」であった。
彼は凝り性で、マンガ雑誌もばんばん買っていた。少年誌では、「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」は毎週。当時は青年誌が若者向けに新雑誌を売り出した頃で、「ビッグコミック スピリッツ」とか「ヤングジャンプ」なんてところも、八海くんはカバーしていたし、もちろん「ビッグコミック オリジナル」も「ビッグコミック」も毎号買っていた。まあその頃主だったマンガ雑誌のほとんどが、八海くんのアパートにそろっていたと言っていい。
そして、私たちが大学生活を送っていた1980年代初頭と言えば、マンガが一番元気な頃だった。
ジャンプでは江口寿史が主戦場として活躍していたし(だいぶ壊れかけていたけれど)、ちばあきおの『プレイボール』も面白かった。鳥山あきらが『Dr.スランプ』をひっさげて登場してきたのは衝撃的だったな。
マガジンでは何と言っても小林まこと。『1、2の三四郎』は柔道編も読みごたえはあったが、プロレス編になると、超ど級の面白さだった。私が4年の時に1年生につけた芸名「牛車(うっしゃー)」と「乱頭(らんとう)」はここから取っている。
サンデーは高橋留美子の『うる星やつら』が看板だったな。村上もとかの剣道マンガで、『修羅の剣』という読みきりの後、修羅と六三四のライバル物語、『六三四(むさし)の剣』の連載が始まった時は鳥肌が立った。こんな画期的な連載の始め方を、私たちはそれまでに体験したことがなかった。
「ビッグコミック スピリッツ」では高橋留美子の『めぞん一刻』が大ヒットした。私としては、いしかわじゅんの『約束の地』の面白さに度肝を抜かれたな。ただ一般的な人気はなかったようだ。この後、いしかわの活躍の場はマイナー誌へと戻っていく。
「ヤングジャンプ」は『キャンパスクロッキー』とか『ネコじゃないもん』とか『いとしのエリー』とか、今思えばイタい話が多かったなあ。その中では『キャンパスクロッキー』が等身大で切なくてよかった。八海くんもこれが好きで単行本をそろえていたと思う。
「ビッグコミック オリジナル」は、西岸良平『三丁目の夕日』、水島新司『あぶさん』、ジョージ秋山『浮浪雲』の三枚看板。『あぶさん』も『浮浪雲』も、後年主人公がどんどん偉くなっていっちゃったけど、この頃はまだまだ元気で楽しかったな。私は弘兼憲史の『人間交差点』が好きだったんだけど、あれはビッグコミック オリジナル」だっけ?「ビッグコミック」だっけ?
こうして作品名を挙げていくと、八海くんのアパートで、熱心にマンガを読みふけった日々を思い出す。

当時、私が買っていたマンガ雑誌は「マンガ奇想天外』。吾妻ひでおやいしかわじゅん、高野文子、近藤ようこ、なんてところに熱狂していた。そして何と言っても好きだったのは、巨匠つげ義春。こう並べてみると、ぐっとマイナーに傾いていくなあ。



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