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2020年3月25日水曜日

圓蔵師匠の教え

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、鶯春亭梅八さんの主宰する「なんじゃもんじゃ江戸や亭」は休席。それでも稽古会はやっている。
昨夜は久々の参加。子どもたちの受験で落ち着かなかったので、お休みしておりました。
それぞれに一席演じて、梅八さんに批評をもらう。これが楽しみなのだ。自分以外の批評にも、色々気づかされることが多い。
梅八さんは、落研の大先輩。よく「圓蔵師匠にはこう教わった」とおっしゃる。
「圓蔵師匠」というのは、先代の七代目橘家圓蔵。私たちの大学の落研の創設当時から1980年(昭和55年)に亡くなるまで、技術顧問を務めてくださった。
その教えのひとつひとつが、具体的で的確なのである。
以前、私が『うどんや』を稽古していた時、屋台の主と客の上下で迷った時があった。ネットの動画で確認してみると、柳家は客が上にいて主が下、三遊亭はその逆だった。どちらが正しいのでしょうと質問してみると、梅八さんはこう答えた。
「一般的には柳家の方でやる。だけど、圓蔵師匠は『どっちでもいい』と教えてくれた。なぜなら、屋台は道の両側にあるからな」
なるほど、屋台は道の片側にあると決まったものではない。だとしたら、上下どちらでもいいわけだ。すとんと腑に落ちた。
「早く言いたいところは、ゆっくり喋ること」
「女を描く時は襟元をなおす仕草をするが、それは下々の女がやることで、武家の奥方は胸元を押さえる。で、反身になって顎を引くんだ」
それらのアドバイスの源流は、七代目橘家圓蔵師匠である。プロの教えはやはりすごい。そして、その教えを実際の高座で血肉にしてきた梅八さんもすごい。
圓蔵師匠は楽屋では「小言の圓蔵」として恐れられた。しかし、その小言は理に適ったものだったのだと思う。柳家小三治も『大工調べ』でのアドバイスは心に残ったと言っている。(「七代目橘家圓蔵 その2」参照)
私は圓蔵師匠に間に合った世代だが、師匠は私が大学2年の時に亡くなった。今になれば、もっともっと教えを受けたかったと悔やまれてならない。
梅八さんが現役の頃、圓蔵門下の売れっ子、林家三平と月の家圓鏡(後の八代目圓蔵)がうちの学祭に出演してくれた。その時、梅八さんは安く仕入れたコーラを客に売り、その売り上げを元手にして、圓蔵師匠とうちの落研でハワイに行って寄席をやったという。すげえなあ。その写真は私も現役の頃部室で見た覚えがある。ああ羨ましい。
梅八さんの向こうに圓蔵師匠がいて、さらにその向こうには、圓蔵師匠の師匠である、私の永遠のアイドル八代目桂文楽がいる、と思えば、とんでもなく幸福な時間を私は過ごしていると言えるのではないか。
それにしても、大学時代橘右近に寄席文字を習い、本牧亭でアルバイトをし、卒業後も現在に至るまで落語にどっぷりつかった梅八さんと、こうしていっしょに落語をやらせていただいていることに、深く感謝したい。こういう巡り合わせを大切にしたいと思う。

ここ数日で一気に桜が見頃を迎えた。


夕食は鳥の唐揚げ、マカロニサラダ、ポテトフライで赤ワインを飲む。

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