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2023年12月8日金曜日

ビートルズ最後の新曲  ジョン・レノンの命日に寄せて

ビートルズの最後の新曲、『ナウ・アンド・ゼン』が出た。

原曲はジョン・レノンが1978年、自宅で録音したもの。1994年のビートルズ・アンソロジー・プロジェクトの際、メンバー3人が『フリー・アズ・ア・バード』『リアル・ラヴ』とともにビートルズの新作としてリメイクしようと試みたが、音質の関係で断念したという。

それが今回、最新のAI技術を駆使してジョンの声を抽出、それに1994年のジョージのギターが加えられ、ポール、リンゴ、ジャイルズ・マーティン(ジョージ・マーティンの息子)の手で完成させた。

私もYouTubeで聴いたが、ジョンらしい静かで美しい曲だ。ジョンの書く曲は、ビートルズ解散以降、どんどんシンプルになっていった。それを彼の「才能の枯渇」ととらえる人もいる。確かに当たり外れは大きくなったが、その詞は曲は深みを増している、と私は思う。

この歌が作られた1978年、ジョンは主夫生活を送っていた。1975年10月9日(ジョンの誕生日でもある)にヨーコとの一粒種、ショーンが生まれてから、ジョンはビジネスをヨーコに任せ育児に専念していたのである。ミュージックシーンからは、1975年『ロックンロール』を発表して後、一切退いた。モンキービジネスの喧騒から隔絶された環境で、ジョンはひっそりと暮らしていた。

もちろん、家事担当のスタッフを雇っていたから、ジョンが何もかも家のことをやっていたわけではない。時間は有り余るほどあったのだろう。そこで彼は、当面発表する当てのない曲をしこしこ作っていた。必要に迫られてではなく、ただ自分の内側から湧き出てくるものを、極めて自然に形にしていったのだろう。それが、あの静かさにつながっているのかもしれない。

当時のジョンを「ヨーコに支配されたふぬけ」と呼ぶ人もいただろうし、「何ものも生み出さない無価値な者」と見ていた人もいただろう。しかし、その隠遁生活を、ジョン自身が望んでいたということだけは間違いない。そして、その中から、『グロー・オールド・ウィズ・ミー』や『リアル・ラヴ』などの名曲が生まれた。

さて、『ナウ・アンド・ゼン』だ。壮大なスケールや劇的な展開はない。歌詞も曲も至ってシンプル。しかし、その哀愁を帯びた調べは、しみじみと心に染み入ってくる。

「時々 ぼくは君が恋しくなる 時々 ぼくはきみがそこにいたらなって思う いつでも戻って来てよ」

歌っているのは、1978年のジョンだ。しかし、私には、「向こう」にいるジョンやジョージに向かって、「こちら」いる者たちが歌う言葉に聞こえてならなかった。それは、ヨーコだったりポールだったりリンゴだったりなのだろうし、できればそこにファンである私たちも加えて欲しい。ジョンの個人的な言葉が、普遍的な意味をもっている。

かつてビートルズ・アンソロジーでポール・マッカートニーは、「完成された『リアル・ラヴ』よりも『フリー・アズ・ア・バード』の方が作っていて楽しかったな」と言っていた。確かに『フリー・アズ・ア・バード』ではポールのメロディーが付け加えられていて、共同作業の色合いが強かった。

今回の『ナウ・アンド・ゼン』では、あまりポール色が感じられない。映像で見るポールの老けっぷりを見て「気力が衰えたのかな」と思ったが、それよりもジョンの原曲に寄り添いながら、丹念にビートルズの音にしていったと思った方がいいのだろう。ジョン・レノンへの、ビートルズへの深い愛によってこの曲は生まれたのだ。

YouTubeのMV、イントロは1994年のセッション。ポールとジョージがアコースティックギターを弾く。レコーディングをしている老人となったポールとリンゴに、生前のジョンとジョージが合成される。相変わらずジョンはふざけているな。最新の技術が、極めて自然に溶け合っている。いいなあ。

ああジョン、今日は君の命日だ。ぼくは19歳で君を失った。その時のことは痛切に覚えている。世界は相変わらずクソみたいさ。それでも長いこと何とかやってきた。今でも時々君を思い出す。君が恋しいよ。



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