10年ほど前、岐阜T君と奥多摩を旅した時、見つけた本屋さん。
これが東京都下ですよ。
この時は、つげ義春の『貧困旅行記』をなぞる、なかなかシブい旅だったねえ。
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2013年3月14日木曜日
ホワイトデー、ケーキを買って帰る
今日はホワイトデー。鉾田のラ・プロバンスでロールケーキを買って帰る。
2年前のホワイトデーも、ここでロールケーキを買って帰った。
あれは震災直後で、やっと電気が通って職場に出られるようになった日だった。
今年はケーキは無理だろうなあ、と思いながら店の前を通ったら、意外にも開店していたのだった。
さすがにケーキの種類は少なかったけど、店内はけっこう人がいたな。
こんな状況だけど、せめて甘いもの食べて元気出してください、というお店の人の気持ちが真っ直ぐに伝わってきて有難かった。
ケーキを持って帰ると、妻も意外だったようで、すごく喜んでくれた。
あの日、福島第一原発の三号機が爆発したんじゃなかったかな。
北寄りの強い風が吹いて、絶対よくないものが飛んで来てるよなあ、と職場で話していたっけ。
前の道は地震のため大きく盛り上がり、液状化で電柱は傾いていた。ガソリンや灯油も手に入らないような状況だった。そんな中、ラ・プロバンスは店を開け、ホワイトデーのケーキを売っていたんだなあ。その心意気に私は感動したよ。
夕飯の後、妻子とロールケーキを切って食べた。苺の香りが春そのものだった。
下は震災当時の写真です。
2年前のホワイトデーも、ここでロールケーキを買って帰った。
あれは震災直後で、やっと電気が通って職場に出られるようになった日だった。
今年はケーキは無理だろうなあ、と思いながら店の前を通ったら、意外にも開店していたのだった。
さすがにケーキの種類は少なかったけど、店内はけっこう人がいたな。
こんな状況だけど、せめて甘いもの食べて元気出してください、というお店の人の気持ちが真っ直ぐに伝わってきて有難かった。
ケーキを持って帰ると、妻も意外だったようで、すごく喜んでくれた。
あの日、福島第一原発の三号機が爆発したんじゃなかったかな。
北寄りの強い風が吹いて、絶対よくないものが飛んで来てるよなあ、と職場で話していたっけ。
前の道は地震のため大きく盛り上がり、液状化で電柱は傾いていた。ガソリンや灯油も手に入らないような状況だった。そんな中、ラ・プロバンスは店を開け、ホワイトデーのケーキを売っていたんだなあ。その心意気に私は感動したよ。
夕飯の後、妻子とロールケーキを切って食べた。苺の香りが春そのものだった。
下は震災当時の写真です。
2013年3月10日日曜日
春を見つけに
今日は、ホワイトデーのプレゼントを買いに行こうね、という話をしていたのだが、長男がインフルエンザにかかり、断念。ずっと家にいる。
昼はカスミのパン屋でパンを買って来て食べる。
次男が「春を見つけに行こう。」と言うので、デジカメを持って家の周りを歩く。
ここのところめっきり暖かくなり、今日は汗ばむほどの陽気だ。
裏山では、次男お気に入りの場所に案内してもらう。
「ここで寝転がって空を見ると落ち着くんだよ。」と次男は言う。
子供の頃秘密基地を作った所を教えてやると、「なかなかいい所だね。」と褒めてくれた。
梅、いぬのふぐり、ふきのとう、水仙、菜の花…。春がいっぱい見つかった。
夕方、ちょっと贅沢をしてイギリスのビールを飲む。
夕食は湯豆腐で酒、笠間焼の黄瀬戸で飲む。旨し。
安藤鶴夫『巷談本牧亭』読了。
妻は調子が悪いといって早く寝た。文楽の『寝床』を聴く。
以下は次男と見つけた春。
昼はカスミのパン屋でパンを買って来て食べる。
次男が「春を見つけに行こう。」と言うので、デジカメを持って家の周りを歩く。
ここのところめっきり暖かくなり、今日は汗ばむほどの陽気だ。
裏山では、次男お気に入りの場所に案内してもらう。
「ここで寝転がって空を見ると落ち着くんだよ。」と次男は言う。
子供の頃秘密基地を作った所を教えてやると、「なかなかいい所だね。」と褒めてくれた。
梅、いぬのふぐり、ふきのとう、水仙、菜の花…。春がいっぱい見つかった。
夕方、ちょっと贅沢をしてイギリスのビールを飲む。
夕食は湯豆腐で酒、笠間焼の黄瀬戸で飲む。旨し。
安藤鶴夫『巷談本牧亭』読了。
妻は調子が悪いといって早く寝た。文楽の『寝床』を聴く。
以下は次男と見つけた春。
2013年3月9日土曜日
2013年3月6日水曜日
石岡の雛巡り
この間石岡を散歩した時は、雛巡りというイベントの真っ最中であった。
仕舞ってあったお雛様を店先に飾る。茨城では桜川市真壁が先駆けだったかな。これで随分街が賑わった。そこで、土浦や石岡など古い歴史を持つ街もやり始まったのだと思う。(去年、T君と旅行した時も、瀬戸でやっていたね。)
石岡の方は、ほどほどの賑わいだが、私が子供の頃のような人出とは程遠い。ま、しょうがないか。中高年の夫婦連れが目立ったね。
天気も良く、穏やかな春日和。ほんの2時間ほどだったが、楽しい街歩きでした。
上の写真は、東京庵のお雛様。以下、石岡で散歩しながら撮った写真です。
見事な土蔵ですな。
国分寺薬師堂。創建当時はこの場所に金堂が建っていたという。
国分寺扇歌堂。初代都々逸坊扇歌を供養して建てられたもの。
看板建築。こういうのが当たり前のように存在してくれているのが有難い。
仕舞ってあったお雛様を店先に飾る。茨城では桜川市真壁が先駆けだったかな。これで随分街が賑わった。そこで、土浦や石岡など古い歴史を持つ街もやり始まったのだと思う。(去年、T君と旅行した時も、瀬戸でやっていたね。)
石岡の方は、ほどほどの賑わいだが、私が子供の頃のような人出とは程遠い。ま、しょうがないか。中高年の夫婦連れが目立ったね。
天気も良く、穏やかな春日和。ほんの2時間ほどだったが、楽しい街歩きでした。
上の写真は、東京庵のお雛様。以下、石岡で散歩しながら撮った写真です。
見事な土蔵ですな。
国分寺薬師堂。創建当時はこの場所に金堂が建っていたという。
国分寺扇歌堂。初代都々逸坊扇歌を供養して建てられたもの。
看板建築。こういうのが当たり前のように存在してくれているのが有難い。
2013年3月4日月曜日
東京庵で天とじ蕎麦を食す
この間、石岡を散歩した時、昼飯を東京庵で食べた。
子どもの頃、入院していた祖母の見舞いに行って、ここで天ぷら蕎麦を食べたことがある。旨かったなあ。
あの頃を思い出し、天ぷらをと思ったが、ちょっと贅沢して、天とじ蕎麦にした。
蕎麦も手打ちというわけではないし、所謂こだわりの名店ではないな。
でも、私はこの店が大好きなのだ。
なんといっても、昭和初期に建てられてからずっと変わらない、この雰囲気がたまらない。
私の持論だが、食は総合芸術である。この空間は特別だ。何せ、この雰囲気が形作られるのに、80年ぐらいかかっているんだもんなあ。
ここで、気負いのない、温かい種ものの蕎麦を啜る。これがしみじみと旨いのだよ。
この店構え、素晴らしいでしょ。
子どもの頃、入院していた祖母の見舞いに行って、ここで天ぷら蕎麦を食べたことがある。旨かったなあ。
あの頃を思い出し、天ぷらをと思ったが、ちょっと贅沢して、天とじ蕎麦にした。
蕎麦も手打ちというわけではないし、所謂こだわりの名店ではないな。
でも、私はこの店が大好きなのだ。
なんといっても、昭和初期に建てられてからずっと変わらない、この雰囲気がたまらない。
私の持論だが、食は総合芸術である。この空間は特別だ。何せ、この雰囲気が形作られるのに、80年ぐらいかかっているんだもんなあ。
ここで、気負いのない、温かい種ものの蕎麦を啜る。これがしみじみと旨いのだよ。
この店構え、素晴らしいでしょ。
2013年3月2日土曜日
雷門獅篭『ご勝手名人録』
著者は名古屋を拠点にしている落語家。以前は談志門下で「立川志加吾」を名乗っていた。
破門になって名古屋の雷門小福の弟子となった。立川時代からマンガを描いており、『風とマンダラ』という単行本を出している。
この本は、名古屋芸人列伝といった感じ。(立川談志も、もちろん入っているが。) 獅篭のそれぞれの芸人に対する熱い思い入れが伝わってくる。この人は、本当に芸が好きなんだなあ。
私は2004年の夏、岐阜T君と共に、名古屋の大須演芸場に行ったことがある。名古屋を旅した時の、私のたっての希望を入れてくれたのだ。
客は私たちを入れて4、5人といったところ。そのうらぶれた雰囲気は、昔の端席とはかくやと思わせるに十分だった。
モノマネ漫談・なごやのバタヤン(売り物が田端義男のモノマネというだけでも前世紀の遺物臭が漂う)、紙切り・大東両(読みは「だいとうりょう」、「閣下」と呼ばれていたという)、曲独楽・柳家三亀司(三亀松一門か?)といった面々が次々と高座に上がる。仲トリに獅篭が上がった。ネタは『夏泥』。立川の口調だった。トリは漫談の伊東かおる。
落語が一本、トリが漫談という東京の定席ではありえない構成であった。全体的に華のない、多少愚痴っぽい印象はあったが、楽しかった。いい思い出になっている。
たった一度の逢瀬であったが、この本に出てくる彼らに再会して嬉しかった。
獅篭描く彼らは妖しく、そしてカッコいい。 紙切りの大東両閣下は、晩年「ガンダム」紙切りで売れたのか。あの時、私はイチローを切ってもらった。東京の寄席では紙切りの注文の競争率がハンパなく高いが、大須では高座から客に向かって「何切る?」と訊いてくるのだ。当時は松井秀喜のヤンキース入団が話題だったが、私は愛知に敬意を表しイチローをリクエストした。閣下は「松井じゃなくてイチローというのが偉い。イチローの方が特徴があって切りやすいんだ。」と褒めてくれた。またこれが仕事が丁寧で時間がかかるの。色んな意味で洗練とは対極にあったなあ。
登場する芸人は、ほとんど一般的に知名度はない。でも、みんな濃い人たちだぞ。芸人だけじゃない、裏方のスタッフも、とてつもなく濃い。芸は魔物だ。芸に魅せられ芸に溺れた、普通でいられない人たちばかりだ。
芸人からは、快楽亭ブラック、大東両、雷門小福、雷門福助、伊東かおる、三遊亭歌笑、桂ぽんぽ娘、いか八郎、そして立川談志。スタッフからは足立秀夫席亭、従業員姫。おまけが獅篭のいとこY。どれも凄い。
獅篭の筆致も「風マン」の頃より、確実に深みを増している。雷門獅篭、渾身の一冊だな。買ってよかった一冊です。
写真は2004年8月の大須演芸場。
破門になって名古屋の雷門小福の弟子となった。立川時代からマンガを描いており、『風とマンダラ』という単行本を出している。
この本は、名古屋芸人列伝といった感じ。(立川談志も、もちろん入っているが。) 獅篭のそれぞれの芸人に対する熱い思い入れが伝わってくる。この人は、本当に芸が好きなんだなあ。
私は2004年の夏、岐阜T君と共に、名古屋の大須演芸場に行ったことがある。名古屋を旅した時の、私のたっての希望を入れてくれたのだ。
客は私たちを入れて4、5人といったところ。そのうらぶれた雰囲気は、昔の端席とはかくやと思わせるに十分だった。
モノマネ漫談・なごやのバタヤン(売り物が田端義男のモノマネというだけでも前世紀の遺物臭が漂う)、紙切り・大東両(読みは「だいとうりょう」、「閣下」と呼ばれていたという)、曲独楽・柳家三亀司(三亀松一門か?)といった面々が次々と高座に上がる。仲トリに獅篭が上がった。ネタは『夏泥』。立川の口調だった。トリは漫談の伊東かおる。
落語が一本、トリが漫談という東京の定席ではありえない構成であった。全体的に華のない、多少愚痴っぽい印象はあったが、楽しかった。いい思い出になっている。
たった一度の逢瀬であったが、この本に出てくる彼らに再会して嬉しかった。
獅篭描く彼らは妖しく、そしてカッコいい。 紙切りの大東両閣下は、晩年「ガンダム」紙切りで売れたのか。あの時、私はイチローを切ってもらった。東京の寄席では紙切りの注文の競争率がハンパなく高いが、大須では高座から客に向かって「何切る?」と訊いてくるのだ。当時は松井秀喜のヤンキース入団が話題だったが、私は愛知に敬意を表しイチローをリクエストした。閣下は「松井じゃなくてイチローというのが偉い。イチローの方が特徴があって切りやすいんだ。」と褒めてくれた。またこれが仕事が丁寧で時間がかかるの。色んな意味で洗練とは対極にあったなあ。
登場する芸人は、ほとんど一般的に知名度はない。でも、みんな濃い人たちだぞ。芸人だけじゃない、裏方のスタッフも、とてつもなく濃い。芸は魔物だ。芸に魅せられ芸に溺れた、普通でいられない人たちばかりだ。
芸人からは、快楽亭ブラック、大東両、雷門小福、雷門福助、伊東かおる、三遊亭歌笑、桂ぽんぽ娘、いか八郎、そして立川談志。スタッフからは足立秀夫席亭、従業員姫。おまけが獅篭のいとこY。どれも凄い。
獅篭の筆致も「風マン」の頃より、確実に深みを増している。雷門獅篭、渾身の一冊だな。買ってよかった一冊です。
写真は2004年8月の大須演芸場。
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